宮脇咲良さんがかつてぱんぱん問題なるものを、
起こしたと聞きました。宮脇咲良さんのぱんぱん問題と言われても、
何の事か思い浮かびません。
ぱんぱん問題とは一体何でしょう。
ファンはどのような反応を示したのでしょうか。
ぱんぱん問題は一体何の意味があったのでしょうか。
宮脇咲良さんが起こしたぱんぱん問題とは
それでは、宮脇咲良さんが起こしたぱんぱん問題と、
ぱんぱん問題に対するファンの反応と、
ぱんぱん問題の意味を考えてみることにします。
宮脇咲良さんが起こしたぱんぱん問題は、
シンプルにいうと、SNSで同じHKT48の田島芽瑠さんについて、
ぱんぱんと言ったとされるものです。
宮脇咲良さんが、田島芽瑠さんに言及したファンのツイートに対して、
ひとこと[ぱんぱん]と書いたことから、
田島芽瑠さんをバカにしたツイートと判断され、
田島芽瑠さんのファンは勿論のこと、HKT48ファン全体から
非難の嵐を浴びることになります。
その後、宮脇咲良さんはツイッターのアカウントが
乗っ取られていたとして、
[ぱんぱん]といったのは私ではないとして、
乗っ取られていたことに対して謝罪しています。
これが、宮脇咲良さんがおこした[ぱんぱん問題]を
ざっくりと説明したものです。
この宮脇咲良さんの[ぱんぱん問題]の説明に対して、
乗っ取られた事を心配する声と、
わざとやったのに嘘をついていると邪推する声が上がりました。
しばらく、この宮脇咲良さんの[ぱんぱん問題]は尾を引きますが、
やがて終息し、今は何の問題もなく、
宮脇咲良さんはSNSを使えますし、SNSでの問題も起こしていません。
[ぱんぱん問題]のあてつけにされた田島芽瑠さんも、
特に、宮脇咲良さんと仲が悪くなったという話も出ていませんし、
いまは、全く問題ないのでは、と思われます。
宮脇咲良さんの[ぱんぱん問題]。
次は、この[ぱんぱん問題]に対する私見を述べたいとおもいます。
宮脇咲良さんの[ぱんぱん問題]に対する私見
それでは、宮脇咲良さんの[ぱんぱん問題]への私見を述べていきます。
まず、[ぱんぱん問題]とすること自体についてです。
[ぱんぱん問題]と言われるのは、ファンが問題視して、
騒ぎ立てたからでは、と考えられます。
私からすれば、たかだかひとこと[ぱんぱん]と言っただけで、
集中砲火する方がどうかしていると思っています。
ただの一言なのですから、流せばいいでしょう。
普段、悪口を一言言われただけで、過剰に反応する人がいますか。
いちいち反応していたら、恐らくまともには暮らせないでしょう。
なれば、ほとんどの人は下らないことを言っていると
流していると思うのです。
なれば、この宮脇咲良さんの[ぱんぱん]という、
田島芽瑠さんへの悪口に対しても、
宮脇咲良がなんかほざいてる、程度で流せばいいだけでしょう。
そこで、[ぱんぱん]という言葉を論って、
攻撃する要因にするのは、情緒が明らかにおかしいです。
まあ、普段、いろいろな事で抑圧されて生きていれば、
爆発させることが出来ることを求めるのはわかります。
そして、その爆発させる場所がSNSで、
爆発させる対象が無関係なタレント。
自分が匿名なので、足がつかない。やり放題です。
宮脇咲良さんの一言を、わざわざ[ぱんぱん問題]としているのは、
こういった騒ぎ立てた一般人ということです。
SNSでこんな些細な事で騒ぎ立てる暇があるなら、
もっと建設的、創造的なものをしたらどうですか。
せめて、私が今やってるような、執筆ならお金もかからなくてよいですよ。
まとめ
- ぱんぱん問題とは、宮脇咲良さんが田島芽瑠さんに対して、SNSでぱんぱんと言ったこと
- 宮脇咲良さんはSNSの乗っ取りと謝罪したことに対して、信じる人と信じない人に分かれた
- SNSでのタレントの一言風情に、過剰な反応をするのがおかしい
- 攻撃した人間は、普段抑圧されており、ストレス発散の場をSNSに求めていると考えられる
SNSと普段の生活を重ねるのがおかしい。
私に対して、こういう人もいるかも知れません。
確かに、対面かどうでないかは大きな違いでしょう。
しかし、人間としての在り方は変わらないのです。
ならば、対応の仕方もまた同じであることが当然でしょう。
普段とSNSで態度が反転する人は正直信用できない人であり、
関わるべき人ではないでしょう。
今回の宮脇咲良さんの[ぱんぱん問題]で騒いだ人間とも、
なるべくなら関わらないほうが良いとおもいます。
となると、HKT48ファン同士でもつながりを持つのも、
芳しくはないということです。
HKT48を応援する、宮脇咲良さん、田島芽瑠さんを応援するにも、
仲間を求めるべきではないでしょう。