宮地すみれのプロフィールに血液型が書かれていないのは何故?プロフィールに血液型を載せる意味なんてある?

日向坂46の新メンバーである宮地すみれさん。

一部プロフィールが公開されていますが、

血液型が公開されていません。

宮地すみれさんの場合、血液型が不明となっていますが、

血液型が何だろうと、他人には関係ない話なのに、

なぜ、そもそも血液型の公開が必要なのでしょうか。

宮地すみれさんの血液型の話

宮地すみれさんのプロフィールでは、生年月日と出身地が書かれています

生年月日から年齢がわかり、容姿や体型に関係する情報です。

出身地は、話す言葉であったり、地元の文化や愛着を示す、

キャラ付けに繋がります。

 

生年月日や出身地については、宮地すみれさんの活動に関係することがわかります。

そして、公開されている情報の中に、血液型の欄があります。

さらに、宮地すみれさんの血液型の欄は、不明となっています。

 

年齢が上の人だと、血液型が不明なのはおかしい、と感じるかもしれませんが、

現在は、出生時でも血液型は調べないのだそうです。

よって、自身の血液型を知らずに生活している人も多いのです。

宮地すみれさんもまた、血液型を知らないタイプの人でしょう。

 

 

そこで、冒頭の疑問である、

宮地すみれさんのプロフィールに血液型を載せる必要があるのか、

です。

 

血液型を知っておく必要があるのは、

恐らく重傷負った時の輸血のときくらいでしょう。

それか、親子関係を調べるとであるとか、

事件の証拠となるような犯人や、被害者の情報であるとか。

ともかく、日常生活には何も関係がない話です。

 

そこで、なぜ宮地すみれさんのプロフィールに血液型の欄が設けてあるのか。

何が、宮地すみれさんの血液型を公表させる事につながっているのか。

血液型の情報についての理由を探してみましょう。

血液型の話が出るのは何故なのか

宮地すみれさんのプロフィールの中に、

生年月日、出身地、血液型の欄があるのに対して、

血液型の欄があるのは不自然だ、という話をしました。

 

では、なぜ、宮地すみれさんのプロフィールに

このような血液型の欄があるのかを考えた時に、

ふと、日本人の性質を思い出したのです。

 

日本人の中に、血液型で人の性格を決めつける文化があります。

総じて、血液型がB型の人が、その血液型での決めつけで、

嫌なやつ扱いされて、非常に迷惑を被っています。

日本人は血液型にとかく興味があり、偏見を持っているのです。

 

そして、その決めつける性格も、全く科学的根拠がないと、

更に悪質なものとなっているのです。

血液型なんかで性格がわかって貯まるか。

 

この血液型で人格を決めつける文化は

人格攻撃に当たり、非常に悪い文化と言えます。

人格攻撃とは、人種であったり、過去に起こしたことであったり、

本人がもう変えようがない事実をやり玉に挙げて、

相手を傷つける行為のことです。

 

 

血液型は生まれた時から、骨髄移植など、

よほど特殊なことがない限りは、変わることはありません。

つまり、血液型で相手に対して、何かしらネガティブなことは

人格攻撃であり、差別行動であると言えます。

 

日本人は、とかく血液型の話が出る分、血液型について軽く見ています。

人格攻撃なる重篤な問題だと言われても、ただのネタだよ、と鼻で笑われそうですが、

やっていることは人種差別、障害者差別と同じことだと、

肝に銘じる必要があるのです。ネタでは済まされないのです。

 

そもそも、宮地すみれさんのプロフィール欄に血液型なんて要らないでしょうに、

なぜ、宮地すみれさんを含めて、

日向坂46の新メンバーについて、血液型の項目があるのでしょうか。

血液型を公開して、キャラ付けにでも使うつもりなのでしょうか。

まとめ

宮地すみれさんのプロフィールの血液型欄と、血液型欄の必要不要について
  • 宮地すみれさんのプロフィールでは、血液型が不明となっている
  • 現在は血液型を生まれた時には調べない。よって、血液型を知らずに生活している人も多い
  • 日本人の習性として、血液型の話が好きというものがある
  • 日本には、血液型で人を決めつける悪い文化がある
  • 血液型による決めつけは人格攻撃であり、差別行為の何者でもない
  • 日本人がする血液型の話は、ネタとして扱われるほど軽いものではない

というわけで、宮地すみれさんのプロフィールの血液型の欄から、

血液型の欄が不要であり、日本における血液型の文化は、

人格攻撃にあたる悪習であることを指摘しました。

 

私の血液型はB型です。

真っ先にやり玉にされて、笑いのネタにされました。

迷惑千万でした。

こんなクソ文化、さっさとなくなれと思っていたものです。

日本から血液型の話が、非日常になることを望みます。