キャリア10年を数え、若手俳優の注目株の山田裕貴さん。
山田裕貴さん本人に注目が集っていますが、
父もまた、素晴らしい経歴の持ち主です。
山田裕貴さんの父は、広島東洋カープで活躍した野球選手でした。
山田裕貴さん、父のカープを含めた、野球選手としての活躍を見ます。
山田裕貴さんの父、広島東洋カープで活躍した野球選手とは?
山田裕貴さんの父は、中日ドランズ・広島東洋カープで活躍した山田和利さんです。
山田和利さんは、1986~1990年まで中日ドランズ、
1991年~1995年まで、広島東洋カープで活躍しました。
試合出場は8年で、生涯戦績は打率.265、打点102、本塁打22です。
8年間のうち、90試合以上出場しているのは3年間で、
レギュラーへの定着は、なかなかに難しかったようです。
現役の終盤は怪我に泣かされたようで、現役期間の短さも、
怪我が直接の原因、とのことです。
広島東洋カープでの、最後のシーズンでは、
出場試合が、現役中で、最も多かっただけに、
悔やまれる怪我、そして引退でした。
しかしながら、山田裕貴さんの父、山田和利さんは
引退してからは、中日ドランズと広島東洋カープで
長い期間コーチを務めており、野球のセンスや技術の高さが
現役を離れた今でも、いかんなく発揮されています。
山田裕貴さんは、多くの活躍をした父の山田和利さんを見て育ちました。
そして、山田裕貴さんは父から多くの影響を受けて育ちました。
山田裕貴さんが、父の山田和利さんの選手時代の活躍は
幼い頃に、広島東洋カープでの活躍を、目にしていると思います。
山田裕貴さんの父、山田和利さんは
中日ドラゴンズ時代よりも、広島東洋カープ時代のほうが
多くの活躍を見せているため、山田裕貴さんにとっては
なお、頼もしく見えていたに違いありません。
そんな、中日ドラゴンズ、広島東洋カープで活躍した父の影響で、
山田裕貴さんも、プロ野球選手を志すことになります。
それでは、山田裕貴さんの野球に関する話をしましょう。
山田裕貴さんと野球
山田裕貴さんは、広島東洋カープで活躍していた、
父の姿を、幼い頃に見ていたと考えられます。
そして、山田裕貴さんも、プロ野球選手になるべく、
小学生からリトルリーグに所属し、高校まで野球を続けていきました。
しかし、山田裕貴さんに、大きく立ちはだかったものがありました。
それは、進学した高校の、野球のあまりに高いレベルでした。
山田裕貴さんが進学した東邦高校は、春のセンバツ高校野球で
現在、5回の優勝を誇る、日本屈指の強豪校です。
山田裕貴さんの級友もまた、高い実力を持っていたことは間違いありません。
体格差、実力差を感じた山田裕貴さんは
父が歩んだ野球の道を、たどることが出来ませんでした。
しかし、ここからが、山田裕貴さんの本当のはじまりです。
山田裕貴さんは、父である山田和利さんの活躍をテレビで見ていました。
テレビに映し出される凛々しい姿。山田裕貴さんの理想の父の姿です。
その、父のテレビに映る姿こそが、山田裕貴さんを俳優の道に進ませます。
テレビにかっこよい姿を見せる。
父が野球で見せたなら、山田裕貴さんは俳優として見せる。
父の姿が、今の山田裕貴さんの活躍の原点なのです。
山田裕貴さんの父も、野球を諦めた山田裕貴さんを叱咤激励し
奮起を呼ぶ言葉を掛けたとのことで、
山田裕貴さんの父の山田和利さんは、山田裕貴さんの憧れであり続けました。
今の活躍は、あらゆる面において、プロ野球選手として、父として
大きな存在であり続けた、山田和利さんあって、という事実は言うまでもありません。
まとめ
山田裕貴さんと、山田裕貴さんの父について
・山田裕貴さんの父は、中日ドラゴンズと広島東洋カープで活躍した山田和利さん
・山田和利さんは、中日ドラゴンズと広島東洋カープのコーチとしても、大きな働きをしている
・山田裕貴さんは、広島東洋カープで活躍している父の姿に、強い憧れを抱いた
・山田裕貴さんは、父の影響で野球を志すも、周囲の実力の高さに挫折してしまう
・山田裕貴さんは、テレビで見る父の活躍からも、自身もテレビで活躍する姿を見せたいと考え、俳優になった
中日ドラゴンズ、広島東洋カープで活躍した山田和利さん。
プロ野球選手で、一軍で試合に出場するのは、非常に難しいです。
それだけに、山田裕貴さんにとって、父はヒーローそのものと言えます。
山田裕貴さんには、父を超えるような一流になることが
最高に、父に報いることになると思われます。
これからの活躍を、大いに楽しみにしましょう。